SEKALOG

世界と学びログ

近代という世俗化の時代に登場した一種の疑似宗教ー吉村正和【フリーメイソン】

 

フリーメイソン (講談社現代新書)

フリーメイソン (講談社現代新書)

 

 フリーメイソンという言葉を一度ぐらい聞いたことはあると思う。

その言葉からイメージされるのは、この世界を実質的に動かし、支配しようとしているというような陰謀説や「あの著名人もフリーメイソンだった」といったような都市伝説的なものにしか過ぎないかもしれない。
しかし事実は小説よりも奇なりとは言ったもので、フリーメイソンの実態はそういった陰謀説や都市伝説的なものよりも、現実的にこの世界に根を張っている。それはある意味では文化と思想のように、ある意味では宗教のように。

本書ではフリーメイソンの誕生背景とその目的、そして現在の世界に与えた影響などが述べられており、筆者が何度も断りを入れるように、未だ得体がしれず、本書だけで全貌が理解できるということにはならない。しかしフリーメイソンの全体像が少しでも把握できる入門書としては非常に面白みのある内容になっていると思う。

フリーメイソンの起源を遡ろうとすると、それこそ諸説多々あるため特定の説に起源を断定できない状況である。しかし時代の流れの中でフリーメイソンのその思想、範囲も変化しており、特に18世紀以降の「近代」と呼ばれる時代を契機としてフリーメイソンは徐々に現代の形を築いていったのものと著者は考えている。

18世紀というのは西洋社会において自然科学が飛躍的に発展し、それまでの神中心主義的な価値観から人間中心的な価値観へと移り、アメリカの独立とフランス革命、つまりは啓蒙思想に現れる人間の「基本的な人権」というものが注目されるようになった時代である。 
中世までのキリスト教的信仰というのは、旧約聖書で父権的な存在であった神が人間に啓示を与えたように、イエス・キリストが人々を奇蹟で癒していったように、目には見えない非論理的な世界観の中にあったように思える。
こうした中でルネッサンスを経て、これまでの神中心的な価値からヒューマニズム的価値観に移ることで、無神論ではないが心神論でもない、理神論的な考えが広まっていくようになる。その思想の受け皿的役割を果たしたのがフリーメイソンであったと筆者は述べている。理神論とは神の存在を否定することはないが、神の啓示や奇蹟といった目に見えないものを否定し、理性、つまり論理を重んじる。
これまでのキリスト教の課題が神と合一する、あるいは神の似姿となるものだったことに対し、理神論では人間の道徳と理性が最大のパラダイムとなっている。 
さらに18世紀の飛躍的な自然科学の発展が相まって、フリーメイソンの最大関パラダイムは「理性」と「自然」であり、その現れとして近代に活躍した著名な自然科学者の多くはフリーメイソンに加入したいたと述べられている。

筆者は最後に、フリーメイソンとは一言で何なのか?という問いにこう答えている。

フリーメイソンとは何かと自問していると、それは近代という世俗化の時代に登場した一種の疑似宗教ではなかったかという気がする。」

私が本書を読んでいて面白いと思った箇所は、フリーメイソンと歴史の関わりであり、特にアメリカの独立・建国にフリーメイソンがどのような役割を果たしたかが述べられているところである。
なぜなら世界の様々なところでフリーメイソンが関わっていることを知り、陰謀「説」よりも具体的な、歴史的事実を垣間見れるような気がするからである。 たとえそれが吉村氏が限られた資料の中から導きだした仮定だったとしても。