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マリアの処女説から1Q84までー中村うさぎ/佐藤優 【聖書を語る】

 

聖書を語る (文春文庫)

聖書を語る (文春文庫)

 

 日本の小説家でエッセイストの中村うさぎ氏と元外交官で現在作家の佐藤優氏による聖書をめぐっての対談集。

私も聖書の内容については一通りの素地があるが、この対談集を読みながら、聖書を読み解く新たな視点を与えられたような気がする。聖書は一見物語のように思えるが、そこには当時の時代背景、文化が色濃く反映されていることを佐藤優氏から学んだ。

例えば、キリスト教の教えではマリアの処女説は常識となっており、それはイエスを産む前だけでなく産んだ後も処女という説が通説となっている。しかしながら佐藤優氏によれば、旧約聖書ヘブライ語で書かれたが新約聖書はコイネ―と呼ばれる当時の共通ギリシア語で記されており、さらに新約聖書が書かれた時代に流通していた旧約聖書はコイネ―ギリシア語訳のものだったそうだ。そしてヘブライ語からギリシア語に訳される際に、かなりの誤訳も発見されており、その一つに「処女」がある。処女はヘブライ語では単なる「年頃の女」という意味なのに対し、義ギリシアには処女神であるアルテミス信仰が存在していたために、「処女」と訳されてしまったという。

このように言語というのは文化や生活を必然的に表面化させるが、聖書においても例外ではなく、ギリシア文化の影響を大きく受けているのである。

さらに本書では聖書、神学をめぐって、村上春樹1Q84エヴァンゲリオンなどを引き合いに出しながら神学的な共通項を議論していくという非常にユニークな内容がある。私自身も村上春樹を何冊か読み、表面的な読み方をすると体の良いエロ本にしか思えない部分もあるのだが、実はこうした聖書や神学的な要素が盛り込まれているという指摘を聞いて、村上春樹の教養の深さがうかがえた。おそらく村上春樹も沢山の西洋文学に触れてきたので、こういったキリスト教的感覚を抵抗なく表せるのかもしれない。

しかし村上春樹をこのように読み解く佐藤優氏の着眼点と思想的な深さは毎度敬服させられる。

さらに面白いと思ったのは、中村うさぎ氏もキリストの洗礼を受けたキリスト信者であるが、佐藤優氏とは違ってバプテスト派の洗礼を受け、カルヴァン派の洗礼を受けた佐藤優氏とはかなり異なった考えや信仰観を持っているということ。その点を佐藤優氏は、幼い時に受けた教育、刷り込みは価値観形成に大きな影響があることを述べている。