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アフリカの教育現場ー山田肖子【国際協力と学校―アフリカにおける学びの現場―】

 

国際協力と学校 (創成社新書)

国際協力と学校 (創成社新書)

 

 国際教育開発の現場で実践を積み、現在は研究者として活躍されている筆者が、国際教育開発における本質的な問題提起を促しているところに本書の価値があるように思える。


例えば国際教育協力を推進するにあたって現在自明の理とも考えられている「万人のための教育 Education for All:EFA」 についても、筆者は最終章のまとめにおいて、

「教育開発、教育協力の議論で実は置き去りにされているのが、教育学的視点ではないか。しかし同時に教育学という学問体系自体が西洋の特定の社会的、時代的背景の中から生まれてきたものであり、それを西洋以外の社会に当てはめることは限界があること、様々な社会において「学び」「教育」の本来の意味を理解しようとするならば、その社会自体がはぐくんできた教育思想に立ち返ららないといけないと思う。」

と述べている。

この部分をより説得させるものとして、本書の中では、果たして本当にすべての子どもが学校に通うことが子どもにとっても親にとっても、あるいは社会にとっても良いことなのかという疑問を投げかける箇所がいくつかある。
その背景には教育政策が公教育である限り、常に為政者の動機によって変化し、基本的人権とされているEFAにおいても、為政者が票集めのためにそれを利用し、実際は質の伴わない教育がおこなわれているという現状もある。
これらはこれから教育開発を学ぶためにわざわざ英国に留学する私にとって非常に重要な視点であるように思う。国際教育開発という割には教育学的視点が欠如している研究者や実務家が多いのではないか。教育者というよりも行政官として教育開発に取り組む専門家が圧倒的に多いという指摘は私にとって貴重である。私自身も学部は国際関係を学び、教育学的な素地はない。だからこそ、教育学的な視点を持つために基礎的な教育学を学ぶ必要性もあるように思う。
さらに、筆者が述べているように、国際教育開発を専門とする立場であっても、そもそも開発とは何かと、それがなぜ必要なのかといった根本的な命題から目を背けないようにしたい。
「開発」という大きな枠組みについての歴史的、社会的な理解がなければ、そこの細部となる教育開発を真に理解することもできないのだろう。

国際開発に携わる人は、概ね日々の仕事に忙殺され、こういった根本的な問いを自ら発する余裕が失われていくのかもしれない。
しかし忙しく余裕のない実情にこそ、少し立ち止まり、今一度「開発とは何か」「国際教育とは何か」を振り返り問うてみるのにきっかけを与えてくれる一冊だと思う。